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デジタル原始人だったあの頃のお話。

1994年ごろのことである。

私は居間と仕事部屋の間に、LANケーブルをそのまま裸のまま這わせた。養生テープで壁に貼り付け、ドアの隙間を無理やりくぐらせ、傍から見れば、どこかの怪しい工事現場のようなありさまだった。

モデムが接続を試みるたびに、家中に響き渡る音がした。ビーヒャらガーガー、ピーヒョロロ。まるで電子の妖怪が家に棲みついたようである。

インターネットの向こうには、何があったか。コーヒーメーカーがコーヒーを淹れる様子を、ただひたすら延々と流し続けているカメラ映像があった。今思えばいったい何のためにそんなものを世界に発信していたのか謎だが、当時の私にはそれが無性に面白かった。「すごい、地球の裏側とつながっている」と一人で興奮していた。

そんな私を、妻は冷ややかな目で見ていた。

ある日、我が家のLANの端末にある掲示板の画面をじっと眺めながら、妻はこう言った。

「いちいち面倒くさい。なんか用があるんなら、言葉で言ってください。その方が早い」

正論である。まったくもって正論だ。返す言葉がなかった。

しかし私の情熱は止まらなかった。そのアイデアを会社の部の仲間に話し、社内LANをこっそり施設した。といっても家にあった古いPCにモデムとLANケーブルを繋いだおもちゃみたいなものだった。ただ、電話線は当然会社のもの。それを出張先との連絡に使えると踏んで施設した。会社には内緒で、である。

当然バレた。

呼び出しを食らったとき、私は覚悟を決めていた。大目玉どころか、始末書ものかもしれない、と。

ところが、である。会社への貢献が認められたとかで、なんと表彰されてしまった。時代が、ぎりぎり私に追いついてきたのである。

それから三十年たった。今、私は自宅にNASというものを導入しようと計画中だ。仕組みは当時と似たようなものだと思う。ただ、容量もスピードも、あのころとは桁が違う。

計画を話す前に、妻が言うことがある程度予測できた。

「これで家中のデータがどこからでも見られるよ」

と私が説明を始めると、多分こういうに決まってる。

「で、それって、何か便利になるの?」

三十年経っても、妻は正しい。

NASの導入が危ぶまれている。

大好きだったミュージシャンの一人、Dave Masonが逝った。RIP.

このアルバムを何回聴いたことか。ある意味、「ノリ」というものを教えてくれた、何回聴いたか分からないほどの名盤。このバンドのキーボードはMike Finniganで、彼もファンキーだった。彼もすでにに他界している。ほんとうにみんなすごいプレーヤーだった。

転ばぬ先の杖?

 顔面が、痛い。目が、開かない。朝の散歩から帰り鏡を見れば、そこに映っているのは私ではなく、力石徹にボコボコにされた矢吹丈その人である。

 転んだのだ。しかも2度目だ。何でもないいつもの散歩道で、何でもない朝のひとときに。盛大に。

 転んだあとしばらく立ち上がれなかった。何が起こったのか自分でもわからない。そばでは妻が言う。「立つんだ、ジョー!」丹下段平よろしく、そこに愛はあれど容赦はない。おかげで這いつくばったまま笑ってしまい、すでに腫れあがった顔がさらに痛くなった。

 「明日のジョー」を読んだのは、もう遠い昔のことだ。貧しくとも野性的で、リングの上で燃え尽きることしか考えていない若者に、かつての自分を重ねた読者も多かったのではないか。真っ白な灰になるまで闘い続けるその姿は、青春のシンボルそのものだった。

 しかし、である。なんでもない田舎道の上で大の字になって空を見上げながら、私はしみじみ思った。ジョーは若かった。私はそうではない。

 「転ばぬ先の杖」という言葉がある。だが今の私に必要なのは、転ばぬための杖ではなく、転んじゃった後の反省としての杖だ。なぜ転んだか。足元を見ていたか。段差に気づいていたか。慢心はなかったか。

 加齢とはリングが変わることだと、腫れた目で思う。若い頃のリングでは、全力で燃え尽きることが美学だった。だが今のリングでは、転ばずに立ち続けることが、それ自体ひとつの闘いなのかもしれない。

 段平よ、ありがとう。妻よ、ありがとう。

 明日こそ、ちゃんと立って歩いてみせる。まだ、燃え尽きてはいないから。

尾藤イサオ「あしたのジョー」『あしたのジョー』オープニングテーマ 1970年(昭和45年)発売 作詞:寺山修司 作曲:八木正生

寺山修司が作詞とは知らなかった。

棚の前で五十年分の耳を振り返る

 Music Magazineの5月号を開いたとき、思わずと声が出してしまった。特集タイトルは「歴史を変えたデビュー・アルバム・ベスト100〔邦楽編〕」。最近にはない、なかなか魅かれるタイトルだ。だが、ページをめくるうちに姿勢が正されていった。選者たちの真剣さが紙面から滲み出ているからだ。

 そして1位を見た瞬間、目が少しだけ見開いた。ザ・ブルーハーツである。

 驚いた、というより、正直なところ「時代は動くものだ」という感慨に近かった。ブルーハーツのデビューアルバムが邦楽史の頂点に立つとは。おそらく今の若い世代にとって、彼らはビートルズのような普遍的存在になりつつあるのだろう。ネットで拾った遠藤周作の言葉。「老いの楽しみは、自分の予測が外れることにある」を思い出した。まさにそういう心持ちである。

さて、少々込み入った話をしたい。自慢と誇りの違いについてだ。

 この二つは似て非なるものである。自慢とは他者に向けて放つもので、どこかに「羨ましいだろう」という下心が潜んでいる。誇りはそうではない。自分の内側で、静かに灯っているものだ。

 今号のランキング上位20枚のうち、私はアナログ盤かCDで14枚を手元に置いている。これを誇りと感じるのは、コレクターとして数を揃えたからではない。この50年、音楽評論を読み漁り、レコード屋の試聴コーナーに何時間も立ち尽くし、自分の耳と対話しながら「これは本物だ」と納得したものだけを棚に加えてきたからだ。流行だから、誰かが推したからという理由だけで買ったものは、ほとんどない。

 これもネットで拾った言葉。『禅とオートバイ修理技術』の中で、ロバート・パーシグは「名著とは定義できないが確かに感じられるものだ」書いていた。50年間の耳が感じとったものが、2026年の専門家たちの選んだリストと14枚も重なっていた。これは単なる偶然ではあるまい。

一方、今号には正直なところ意表を突かれた顔ぶれも混じっていた。

 5位・宇多田ヒカルの「First Love」はわかる。7位・じゃがたらの「南蛮渡来」、12位・INUの「メシ喰らうな!」、14位・フリクションの「軋轢」(あつれきと読むらしい)これらはリアルタイムでまったく手が届かなかった。アンダーグラウンドの熱量を遠巻きに眺めていた、と言えば聞こえはいいが、要するに当時の私には縁のない音楽だった。17位のPerfume「GAME」も、18位のフリッパーズギター「three cheers for our side」も、それぞれの時代の空気の中で私はどこか別の方向を向いていたらしい。

 しかし今、選評の文章を読んでいると、なぜそれが「歴史を変えた」とされるのかが、腑に落ちてくる。あの時代の何かにクサビを打ち込んだという事実が、文字を通して伝わってくる。そして正直なところ、聴いてみたくなる。六十代七十代になって「初めて聴く名盤」があるというのは、考えてみれば贅沢な話である。

 この100枚のリストも、あと100年も経てばガラッと変わっているだろう。音楽の評価とはそういうものだ。バッハが死後100年間ほとんど忘れられていたことを思えば、今が「歴史的」と見なすものが未来においてどう扱われるかなど、誰にもわかりはしない。

 ただ、20年後もおぼつかない、この身で100年後を私は見届けられない。これだけは確かである。

 ならば今夜、棚から一枚引き抜いて、針を落とすとしよう。50年かけて選んだ14枚が、ちゃんとランキングの中に並んでいた。それで十分ではないか。レコードは嘘をつかない。耳も、そう簡単には忘れない——少なくとも14枚に限っては。

このNETFLIXの映画は実に面白かった。出てくる人たちは実に愛に溢れていた。