「ドッグイヤー」という言葉がある。
犬の1年は人間の7年分に相当する、という俗説から生まれた比喩で、IT業界やインターネット業界の目まぐるしい変化のスピードを表す言葉として、1990年代から広く使われてきた。そして2000年代に入ると、さらに輪をかけて「マウスイヤー」なる言葉まで登場した。マウスの寿命は約1年、つまり人間の60年分の速さで時が流れる、というわけだ。
なるほど、うまいことを言う。
しかし先日、NVIDIAのジェンスン・フアンCEOがCOMPUTEX 2026の基調講演に立ち、ノートPC向けSoCからエージェント型AIの社会実装まで、矢継ぎ早に新製品群を発表するのを見ていて、ふと思った。
この2年ほどのAIの進化を、いったい何と呼べばいいのだろう、と。
ChatGPTが世界を驚かせたのが2022年末。それからわずか2年余りで、AIは「便利なチャットツール」から「自律的に考え、行動するエージェント」へと変貌を遂げた。モデルの性能は数ヶ月ごとに別次元へ跳び上がり、チップはその需要を追いかけるように世代交代を繰り返す。ドッグイヤーでもマウスイヤーでも、もはや追いつかない。「AIイヤー」とでも呼ぶべき、前例のない加速だ。
人生の終盤戦でこの激流を目撃できることは、正直、ワクワクする。SF小説の中にしかなかった世界が、目の前でリアルタイムに展開されているのだ。これほどスリリングな時代に立ち会えた幸運を、素直にありがたいと思う。
だが同時に、複雑な気持ちも拭えない。
今まさに生まれてくる子供たち、あるいは小学校に上がったばかりの子供たちは、この濁流の中を泳ぎ切らなければならない。「将来何になりたい?」という問いの答えが、気づけばAIに代替されている、そんな時代を生きていく。羨ましいような、気の毒なような。
もっとも――よく考えれば、どの時代の親も同じことを思ってきたのかもしれない。蒸気機関が世界を変えたとき、電気が夜を昼に変えたとき、インターネットが距離をゼロにしたとき。それでも人間は、その都度ちゃんと「人間らしい問い」を持ち続けてきた。
きっと子供たちも、AIイヤーをたくましく生き抜くだろう。
そして20年後、彼らはこう言うに違いない。「あのころのAIって、まだ全然たいしたことなかったよね」と。
それを聞く頃、私はもうこの世にはいないだろう。あるいは、となりの奥様と勝手にバーチャルに蘇生されていたりして。それだけは勘弁してほしい。
博報堂の、新卒採用ムービー。コカコーラスタイル「カモンジョイナス!!」的ネット広告。みんなで知恵を絞り出そう、そんな人たち募集。なんか、この激動のAI時代を逆手にとった面白いCFだ。(そういえば、この広告会社によくコンペで負けたっけ)