「Macではできないことが多い」という理由で、5年ほど、RTX 3080 Tiを積んだWindowsマシンを相棒にしてきた。当時は「これで当分は安泰だ」と思っていたし、実際、長いあいだ何の不満もなかった。コンピュータの話である。
ところが、ここ1年でAIが驚くほどの速さで進化した。新しいモデルが出るたびに試してみるのだが、どうにも動きがもたもたする。画面の前で待つ時間が増え、「お前も歳をとったなあ」と、つい機械に話しかけてしまう。人のことは言えないのだが。
そこで思い切って、新しいマシンを迎えることにした。GPUはRTX 5090のFounders Edition、いわゆるBlackwell世代。メモリは128GB。数字だけ見れば、まさに化け物級である。
決めるまでに3ヶ月かかった。性能や値段に迷ったのも確かだが、いちばんの悩みは、実はもっと切実なところにあった。
組んだこのマシン、重さが20kgを超えるのだ。
私はかなり腰痛の爆弾持ちである。届いた大きな箱の梱包を解き、自室まで運び込む。若い頃なら何でもない作業が、今の私には一大事業だ。途中で腰をやられでもしたら、AIの進化を見守るどころか、布団の上で天井を見守ることになりかねない。カートに入れては閉じ、閉じてはまた開く。そんな日々を繰り返した。
この難題を解決してくれたのは、45年連れ添ってきた奥様だった。
「一人で持とうとするからいけないのよ」
そう言って、当日は箱の反対側をしっかり支えてくれた。二人で呼吸を合わせ、一歩ずつ自室へ。化け物は、無事に着地した。
思えば45年、こうして私の足りないところを支え続けてくれた人である。最新のGPUより、128GBのメモリより、よほど頼りになる相棒が、ずっとそばにいたわけだ。
最後に購入ボタンを押す背中を押したのは、少し意外な出来事だった。
自分の身体能力と相談のうえ自動車の普通免許を返納したのだ。55年の長期にわたる付き合いだった。
長年ハンドルを握ってきた身として、寂しくないと言えば嘘になる。行きたいときに行きたい場所へ行けるという、ある意味の選択肢を、ひとつ手放したのだから。
その日の夜、私は購入ボタンを押した。自分への記念品のつもりだった。車で遠くへ行くことはもうないが、その代わりに、家にいながら世界の最先端に触れる道具を手に入れた。運転席を降りて、今度はAIの助手席に座る。そんな気分だった。
家じゅうが小さな研究所に
我が家には、もともとLANが張り巡らされていた。昔の自分がなぜそこまでやったのか、今となっては思い出せないが、これが思わぬところで役に立った。
新しいマシンを中核に据え、LANでつないだ古いマシンから、その働きぶりを眺める。重い処理は新しい相棒に任せ、こちらは古いマシンの前で、お茶をすすりながらAIの進化を見守る。家じゅうが小さな研究所になったようで、なんとも楽しい。
こんなことが個人の家でできる時代になった。若い頃の自分に話しても、きっと信じないだろう。
作っては忘れ、作っては忘れ
ただし、ひとつ困ったことがある。
AIに物事を覚えさせるための「記憶装置」の仕組みを、あれこれ工夫して作る。うまく動くと嬉しくなる。ところが数日経つと、自分が何をどう作ったのか、きれいさっぱり忘れているのだ。
AIの記憶を整えているはずの本人の記憶が、いちばん頼りない。作っては忘れ、作っては忘れる。なんともジジイ的な毎日である。
それでも、忘れたらまた作ればいい。そのたびに少しずつ上手くなっている気もする。いや、それも忘れているだけかもしれないが。
免許は手放したが、好奇心まで返納したつもりはない。
化け物級のマシンと、頼りない自分の記憶。そして何より、45年変わらず隣で支えてくれる奥様。この心強い布陣で、もうしばらくAIの進化を見届けてみようと思う。