こんなブログ記事を書くことになるとは思わなかった。
時の政権が何をしようと、それは民意である。そう言われれば、なるほど選挙で選ばれた以上、文句のつけようがない理屈である。六十年代、七十年代は学生も労働者も街頭に出て、拳を突き上げて世の中を変えようとした。あの熱気は一体どこへ消えたのか。今や国会前でシュプレヒコールを上げても、翌朝のニュースでは天気予報より扱いが小さい。
不思議なのは、どんな強引な法案が通っても、次の選挙でまた同じ顔ぶれが当選してしまうことだ。これは選挙制度がおかしいのか、それとも「おかしい」と首をひねる私のような人間の感覚のほうがずれているのか。どちらだと聞かれれば、正直、答えに窮する。
さて、その政治の世界に君臨する「ドン」なる存在がいる。誰も表立って名指ししないが、確かに存在する。名付けて「どんぶり飯、具たくさん」。博多の丼めしのように(福岡だけのことを言っているのではないが、具だくさんで、汁だくで、しかも一度食べたら病みつきになる――そんな旨みを政治の世界にたっぷり効かせているらしい。もっとも、旨いのは本人だけで、周りは骨の髄までしゃぶられているのだが。
このドンたちの暴挙たるや、目を覆うばかりである。しかし誰も暴かない。記者も評論家も、丼の湯気の向こうで曖昧に微笑むばかり。もう笑うしかない。怒る気力すら、湯気に溶けて消えてしまったかのようだ。
だが、ここで一つ思い出したい。丼というものは、どれだけ具が偉そうに乗っていても、しょせん米の上に乗っているに過ぎないということを。主役はいつだって、下から支える米粒――つまり、我々一人一人の一票である。ドンがいくら「たくさん」名乗ろうと、丼をひっくり返す権利は、いまだ食べる側にある。
さあ、次の選挙はまだまだ先、「おかわり自由」の機会がくれば、今度は具を選ぶのではなく、丼そのものを取り替えてみたいものだ。

