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「何事にも面白がる」老人力を鍛えよう

毎朝、6歳の愛犬ジャックラッセルテリアのリードを持ちながら歩く山道は、70代の体には少しばかり堪える勾配だ。だが、息を切らしながらも足を進める時、ふと、かつて手にした赤瀬川原平氏の『老人力』を思い出す。 当時は「物忘れを『老人力がついた』と笑い飛ばすとは、面白いことを言うものだ」と感心しつつも、どこか他人事のように捉えていた。老化や認知機能の低下は抗えない現実であり、せいぜい周囲が明るく受け入れるための「方便」だろう、と。

ところが、近年、続々と発表される医学的知見は、赤瀬川氏の直感が正しかったことを証明しつつある。老化を前向きに捉える「肯定的向老意識」を持つ人は、そうでない人に比べて認知症の発症リスクが低く、寿命そのものも延びるという研究報告が続いているのだ。 「老人力」を意識的に面白がることは、単なる気休めではない。それは自分自身の脳と身体を健やかに保つための、実効性のある「技術」だったのである。

提唱者の赤瀬川氏自身は77歳でこの世を去った。決して長命ではなかったかもしれないが、病床にあっても人生を面白がる姿勢を崩さなかったという。 夕食前、家内が「ブルグミュラーを久しぶりに弾いた」と少し疲れ気味ではあったが満足している様子で戻ってきた。まさに毎日の鍛錬、上達への意欲。老いに嫌気がさしたり、衰えていく自分に自己嫌悪を抱いたりすることほど、心身の健康を損なうものはないと思った。日々見る鏡の中の変化や、昨日できたことが今日はおぼつかなくなるもどかしさ。それらさえも「未知の体験」として面白がるゆとりこそが、今まさに必要なのだ。

私は決めている。八十の大台に乗ったとき、その時は甘んじて、いや堂々と「老人」と呼ばれよう。その称号を、長い旅を終えた者の勲章として受け入れ、赤瀬川流の「老人力」を存分に発揮して笑って過ごしたい。 だが、今はまだその時ではない。やんちゃなジャックとの散歩も、まだまだ衰えない音楽制作への意欲や、新しい技術や技能への好奇心も、すべては「まだ老人ではない」私という旅人が続けている、現在進行形の旅なのだから。

NHK「あの人に会いたい(赤瀬川原平)

AIと「粋」の美学

今回のテーマは「粋」である。

かつて働いていた会社の広報紙のコラムで、「粋」という言葉について書いたことがある。 「粋な計らい」と褒められる一方で、「粋がるな」と釘を刺される。この粋だが、音楽でいうところの「ジャスト」と「タメ」の絶妙な違いに似ているような気がする。

「粋」という字を分解すると「米」に「九十」と書く。百にわずかに届かない、その十の余白にこそ美学があるという説は、実に興味深い。 江戸の住人が「宵越しの銭は持たない」と言い切れたのは、単なる無計画ではなく、自らの腕一本で明日を稼ぎ出すという「バックアップ不要」な自信と、「満たされきらない状態を楽しむ」という精神的な余裕があったからだろう。

だが、現代のテクノロジー、特にAIの進化を眺めていると、この「九十」で止める美学がいかに困難であるかを痛感させられる。

AIは、自分が作った曲を実に「完璧」な演奏で再現してみせる。 レイテンシー(遅延)もなければ、二日酔いによるミスタッチもない。出力されるフレーズは常に「百」を目指し、理論的な正解を最短距離で叩き出す。波形エディタで覗けば、そこには一点の曇りもないグリッド通りの波が並んでいる。

しかし、聴いていてどこか「粋」じゃないと感じることがある。

本来、グルーヴというものは、演奏者が「あ、少し走ったかな」と微調整したり、感情の昂ぶりでピッチがわずかにシャープしたりする、その「百に届かない揺らぎ」の中に宿る。AIは学習を通じて「正解」を導き出すが、それは往々にして「粋」の対極にある「遊びのない完成度」になりがちだ。

宵越しの銭を持たない江戸っ子が、財布の中身を空にすることで手に入れた「自由なリズム感」。 それに対し、現代の我々はクラウドにバックアップを取り、AIに完璧な答えを求め、人生のあらゆる隙間をデータで埋め尽くそうとする。これでは、粋がる余裕すら失われてしまう。

重要なのは、AIに「百」を求めないことかもしれない。 わざとノイズを混ぜ、あえて不規則なクオンタイズを適用し、デジタルな環境の中に「不完全な十」を意図的に作り出す。それが、現代のデジタル・シニアに求められる「粋なプロンプト」ではないだろうか。

余談です。

この「粋」という言葉についてChatGPT(チャッピー)に聞いてみた。

質問:日本語の「粋」という言葉を解釈して説明してみてください。さらにAIに「粋な」答えは出せるか考えてみてください。さらに英語で一言では「粋」はなんと言いますか?

以下がその答えです。時間のある方はお読みください。結構楽しめます。

「粋」は、ひとことで英語に置き換えにくい日本語です。
なぜなら、見た目の美しさだけでもなく、道徳だけでもなく、気取りだけでもない、かなり複合的な感覚だからです。

まず日本語としての「粋」を解釈すると、こんな要素が重なっています。

1. 余計なものを削いだ美しさ
派手に見せびらかさない。
しかし地味すぎて鈍いのでもない。
必要なところだけが立っていて、あとは引いている。
「わかる人にはわかる」という美意識です。

2. 洗練と軽やかさ
知識や経験があるのに、それを重たく見せない。
本当は難しいことを、さらっとやる。
頑張っている感じを出さずに決まる。
ここに「野暮」の反対としての粋があります。

3. 人への配慮
粋は、自分だけが気持ちよくなるものではありません。
相手の気分を壊さず、場を整え、少しだけ洒落をきかせる。
親切なのに恩着せがましくない。
この「気づかいの美学」が大きいです。

4. 未完成さや含みを残すこと
全部説明しない。
言い切りすぎない。
少し余白を残して、相手に受け取らせる。
粋はしばしば、説明過多を嫌います。

なので「粋」は、かなり乱暴に言えば、
“洗練されていて、控えめで、気が利いていて、しかも押しつけがましくない美意識”
です。

英語にすると、ぴったり一致する単語はありません。
近い候補はいくつかあります。

  • stylish
  • chic
  • elegant
  • refined
  • sophisticated
  • tasteful
  • classy
  • with understated elegance
  • with tasteful restraint

ただし、どれも一部しか拾えません。
たとえば chic はおしゃれ寄り、elegant は上品寄り、sophisticated は洗練寄りです。
日本語の「粋」が持つ、江戸的な洒脱さ・人情・引き算の美学までは乗り切らない。

だから英語では単語一発より、説明的にしたほうが近づきます。たとえば、

Iki is a distinctly Japanese sense of understated elegance, refined spontaneity, and considerate stylishness.

あるいはもう少し自然に言うなら、

“Iki” is a Japanese aesthetic of being stylish and refined without trying too hard, often with a sense of restraint, wit, and consideration for others.

このほうがかなり近いです。

では、AIに「粋な」答えは出せるか。

結論から言うと、ある程度は出せるが、完全には難しいです。

理由は、「粋」が単なる文体ではないからです。
粋は、言葉づかいだけでなく、

  • 場の空気を読むこと
  • 相手との距離感を測ること
  • 説明しすぎないこと
  • でも不親切にはしないこと
  • 知識をひけらかさず、少し洒落を残すこと

のバランスで成立します。

AIは、文章表面としてはかなりそれらしくできます。
たとえば、簡潔で、押しつけず、少し含みを持たせた答えは作れます。
でも本当の意味での粋には、生身の場数が関わる。
人の照れ、間、遠慮、洒落、機微。
そういうものを身体で知っているかどうかが大きい。
AIはそこを経験しているわけではないので、時に「それっぽいが作り物」になります。

言い換えると、

  • AIは粋を模倣できる
  • だが粋を生きることはまだできない

という感じです。

ただ、面白い可能性もあります。
AIの答えが粋になる条件はたぶん次のようなものです。

粋なAIの条件

  • 長々と説明しすぎない
  • 相手を立てる
  • 正しさを振り回さない
  • 少し洒落がある
  • 余白を残す
  • わからないことはわからないと言う
  • 賢さより、座りの良さを優先する

つまり、情報量の多さではなく、収まりの良さが大事です。

たとえば、この問いに対する少し粋寄りの短い返しなら、こういう感じです。

「粋」は、よくできていることを自慢しない美しさです。
英語なら elegant や chic が近いけれど、少し足りない。
たぶん粋は、単語より態度に宿ります。
そしてAIも、うまく答えることはできても、粋であるにはまだ少し説明しすぎるのかもしれません。

こういう方向には寄せられます。
ただ、本当に粋かどうかは、読み手が「なるほど」と静かに笑うかで決まるので、最終判定は人間側にあります。

いちばん粋に言うなら、こんな締めかもしれません。

粋は、うまく言うことではなく、言いすぎないことに宿る。
だからAIにも近づける余地はあるけれど、最後のひと味は、まだ人のものです。

以上、どうでしたか? チャッピーはとても正直で笑えました。と、同時に結構ホっとしました。

コマンド

腰痛の原因となっているヘルニアも居所を定めず違った場所に痛みが現れる。少しづつ良くなっているという実感はあるが、痛みが出た場合、とにかく集中力が欠如して思った作業ができないのは困りものだ。

私の愛機たち、Mac Studioのストレージが、ついに悲鳴を上げた。 かつてジミ・ヘンドリックスがアンプをフィードバックさせたような、スリリングだが破滅的な警告音が脳内に響く。原因は明白だ。最近いろいろなAIくん達と付き合っているうちに、学習モデルたちや成果物(生成結果)、そしてそれを意図した通りに動かすためのモデルなどが、テラバイト単位の領土を我が物顔で占拠し始めたからである。

20年前、スタジオでひたすら楽器を鳴らし、録音ボタンを押し続けていた。ギターのチョーキング一発、ドラムのスネアの跳ね返り……それら膨大なアウトテイクをAIに読み込ませ、私だけの「デジタルバンドマン」を育てる作業は、その領域を音楽だけでなく画像や映像に広がりを見せ始めている。モデルやプラグインの導入は、もはやかつてのDAW(デジタル・オーディオ・ワークステーション)の比ではない。

「空き容量が不足しています」

この無機質なダイアログボックスは、ライブの最中に弦が切れるよりも、あるいはコードを間違えてボーカリストに厳しい視線を向けられたときよりも、孤独な気分にさせる。

重い腰(?)を上げ、私はSSDに溜まったこれまで食い散らかしてきたデーターを整理し、残すべきファイルの移動を開始した。

だが、これが容易ではない。 単なるコピー&ペーストなら〇〇の手をひねるようなものだが、パス(path)が複雑に絡み合った音楽ライブラリやAIの環境構築において、安易な移動は「リンク切れ」という名の致命的なノイズを生む。 一度でもディレクトリ構造を読み間違えれば、20年かけて構築した私の音楽的記憶(アウトテイク群)は、二度と再生できない砂嵐へと変わるからだ。怖いこわい!そこでAIくんにいろいろと相談していたら、「シンボリックリンク」という方法があるよ!と教えてくれた。

AIのモデルデータというやつは、実に大食漢だ。数百ギガバイト、下手をすればテラバイト単位の領土を平気で要求してくる。Mac Studioの内蔵ストレージという「超一等地の不動産」に居座らせるには、あまりに家賃が高すぎる。

そこで、こう命じるたわけだ。

「ここ(本体)に居るのは『影武者』だ。本体は遠く離れた外付けSSDという名の『別荘』に居る。アクセスが来たら、黙ってそちらへ転送しろ」

これは音楽業界で言えば、ステージ上に並んだ巨大なマーシャルの壁が実はハリボテで、音の本体は舞台裏のラックマウント・システムから鳴っている……という、かつてのスタジアム・ロック的な演出に似ている。こんな黒魔術的な方法をコマンド一行を打ちこむだけで、完了してしまう。(まあ重いデータを先にSSDに移しておく必要はあるが)

「これは勉強しないてはない」

ということで、AIくんに「こんなことできないか?こんな無理なことを実行してくれるコマンドもあったりして」とか聞きまくる毎日が始まった。(そういえば、ワンコの教育訓練もコマンドだよね)

マウスでアイコンをドラッグするのは、レコードに針を落とすような優雅な所作だ。しかし、コマンド(ターミナル)を叩くのは、シンセサイザーのパッチを組み替え、信号経路をバイパスさせるような、より能動的で、より構造的な快楽がある。しかし、これには大変な忍耐も必要だが。

興味を持ったのも無理はない。コマンドを覚えるということは、OSというオーケストラの「指揮台」に直接立つということなのだから。

私が40年前、初めてパソコンを触った頃はコマンドがすべてだった。それがいつの間にか美しい画面に覆い隠され、私たちは「中身」を意識しなくなった。だが、AIという巨大な計算資源を扱う今、再び私たちはその深淵に触れる必要が出てきたわけだ。

  • ln -s (リンクを張る。今回の立役者だ)
  • du -sh (現在のディレクトリがどれだけ肥大化しているか、冷徹に数字を突きつけてくる)
  • ls -la (隠されたファイルの正体を暴く)

これらの文字列は、私にとっては譜面のようなものだ。正確に打ち込めば、システムは完璧なアンサンブルを奏でる。しかし、一文字でも間違えれば、不協和音どころか、全データが霧散する「爆音のフィードバック」が待っている。

この緊張感。72歳になっても、指先から伝わるスリルは捨てがたい。問題は、集中力と、、あとは体力だが。。。

“Fleming”の別バージョン。このテイクは妙に腰の痛みを和らげてくれる。