腰痛の原因となっているヘルニアも居所を定めず違った場所に痛みが現れる。少しづつ良くなっているという実感はあるが、痛みが出た場合、とにかく集中力が欠如して思った作業ができないのは困りものだ。
私の愛機たち、Mac Studioのストレージが、ついに悲鳴を上げた。 かつてジミ・ヘンドリックスがアンプをフィードバックさせたような、スリリングだが破滅的な警告音が脳内に響く。原因は明白だ。最近いろいろなAIくん達と付き合っているうちに、学習モデルたちや成果物(生成結果)、そしてそれを意図した通りに動かすためのモデルなどが、テラバイト単位の領土を我が物顔で占拠し始めたからである。
20年前、スタジオでひたすら楽器を鳴らし、録音ボタンを押し続けていた。ギターのチョーキング一発、ドラムのスネアの跳ね返り……それら膨大なアウトテイクをAIに読み込ませ、私だけの「デジタルバンドマン」を育てる作業は、その領域を音楽だけでなく画像や映像に広がりを見せ始めている。モデルやプラグインの導入は、もはやかつてのDAW(デジタル・オーディオ・ワークステーション)の比ではない。
「空き容量が不足しています」
この無機質なダイアログボックスは、ライブの最中に弦が切れるよりも、あるいはコードを間違えてボーカリストに厳しい視線を向けられたときよりも、孤独な気分にさせる。
重い腰(?)を上げ、私はSSDに溜まったこれまで食い散らかしてきたデーターを整理し、残すべきファイルの移動を開始した。
だが、これが容易ではない。 単なるコピー&ペーストなら〇〇の手をひねるようなものだが、パス(path)が複雑に絡み合った音楽ライブラリやAIの環境構築において、安易な移動は「リンク切れ」という名の致命的なノイズを生む。 一度でもディレクトリ構造を読み間違えれば、20年かけて構築した私の音楽的記憶(アウトテイク群)は、二度と再生できない砂嵐へと変わるからだ。怖いこわい!そこでAIくんにいろいろと相談していたら、「シンボリックリンク」という方法があるよ!と教えてくれた。
AIのモデルデータというやつは、実に大食漢だ。数百ギガバイト、下手をすればテラバイト単位の領土を平気で要求してくる。Mac Studioの内蔵ストレージという「超一等地の不動産」に居座らせるには、あまりに家賃が高すぎる。
そこで、こう命じるたわけだ。
「ここ(本体)に居るのは『影武者』だ。本体は遠く離れた外付けSSDという名の『別荘』に居る。アクセスが来たら、黙ってそちらへ転送しろ」
これは音楽業界で言えば、ステージ上に並んだ巨大なマーシャルの壁が実はハリボテで、音の本体は舞台裏のラックマウント・システムから鳴っている……という、かつてのスタジアム・ロック的な演出に似ている。こんな黒魔術的な方法をコマンド一行を打ちこむだけで、完了してしまう。(まあ重いデータを先にSSDに移しておく必要はあるが)
「これは勉強しないてはない」
ということで、AIくんに「こんなことできないか?こんな無理なことを実行してくれるコマンドもあったりして」とか聞きまくる毎日が始まった。(そういえば、ワンコの教育訓練もコマンドだよね)
マウスでアイコンをドラッグするのは、レコードに針を落とすような優雅な所作だ。しかし、コマンド(ターミナル)を叩くのは、シンセサイザーのパッチを組み替え、信号経路をバイパスさせるような、より能動的で、より構造的な快楽がある。しかし、これには大変な忍耐も必要だが。
興味を持ったのも無理はない。コマンドを覚えるということは、OSというオーケストラの「指揮台」に直接立つということなのだから。
私が40年前、初めてパソコンを触った頃はコマンドがすべてだった。それがいつの間にか美しい画面に覆い隠され、私たちは「中身」を意識しなくなった。だが、AIという巨大な計算資源を扱う今、再び私たちはその深淵に触れる必要が出てきたわけだ。
ln -s(リンクを張る。今回の立役者だ)du -sh(現在のディレクトリがどれだけ肥大化しているか、冷徹に数字を突きつけてくる)ls -la(隠されたファイルの正体を暴く)
これらの文字列は、私にとっては譜面のようなものだ。正確に打ち込めば、システムは完璧なアンサンブルを奏でる。しかし、一文字でも間違えれば、不協和音どころか、全データが霧散する「爆音のフィードバック」が待っている。
この緊張感。72歳になっても、指先から伝わるスリルは捨てがたい。問題は、集中力と、、あとは体力だが。。。
“Fleming”の別バージョン。このテイクは妙に腰の痛みを和らげてくれる。
