Bandcampの「人間宣言」を読む。

Keeping Bandcamp Human

この記事を読む前に、Google NotebookLMで生成してもらった音声を聴いてみて欲しい。

2026年1月13日、Bandcampが発表した「Keeping Bandcamp Human(Bandcampを人間らしい場所のままに)」という声明。これを読みながら、私は古き良き友人が正論を吐いたときのような、心地よい納得感と、僅かばかりの苦笑いを同時に噛みしめていた。

今回は、この「人間らしさ」と「AI」の距離感について、私なりに筆をとってみようかと思う。

プライベートスタジオで録音したアルバムや楽曲のほとんどをBandcampにアップロードしてきた私にとって、このプラットフォームには愛着がある。ありがたいことに少数ではあるが、世界中の奇特な――いや、熱心な――リスナーが私の楽曲を購入し、ささやかな音楽的実験を支えてくれたこともある。

Bandcampの主張は至極真っ当だ。「プロンプト一つで大量生産された、魂の抜けたAI楽曲」がプラットフォームを埋め尽くし、真摯に楽器と向き合うミュージシャンの存在を希釈してしまうことへの懸念。これは、かつて安直な電子ドラムが市場に溢れたときに我々が抱いた違和感とは桁が違う。圧倒的な物量で市場に溢れかえる、AI製の音と映像。彼らがそこに防波堤を築こうとする決断は理解できるし、ある意味で共感する部分も大きい。

しかし、ここで一つ、自身の「AI利用」についても少し触れておきたい。あくまでも私個人の話だ。 自分は現在、制作プロセスの深部でAIをフル活用している。だが、それはBandcampが危惧するような「生成AIに丸投げした量産品」とは、いささか趣が異なる。

自身のAIモデル――といっても、そこまで高尚な代物ではないが――その学習データのほとんどは、私が過去20年間にわたり自宅スタジオで録り溜めてきた、膨大なアウトテイク集だ。 日の目を見なかった楽曲そのもの。そして、何テークも録り直したギターの間奏やリフ、リズムを取り違えたドラムパターン、酒の勢いに任せて手弾きで鍵盤を叩いたベースライン。これらは私自身の「恥しさのデータベース」であるが、ある意味で立派な「資産」ともいえる。時間をかけてAIにこれらを教え込み、プロンプトを書いては「ハッとする瞬間を楽しみに待つ」。これが自身のAI活用の原点だ。

老いた今の指では追いつかないフレーズを、かつての私のデータから再構築する。あるいは、見よう見まねで覚えたコード進行を、AIが予想外の進行に変換してくる。「なるほど、そう来るか」とニヤリとしたり、その飛躍にぶっ飛んだりする瞬間はたまらない。 これは、ニューラルネットワークを用いた「自己対話だ!」なんて、少し高尚なことを言ってみたりもする。

Bandcampが守ろうとしているのは「人間の意思が介在する音楽」だと思う。私がAIを使っている理由は、自作曲の可能性を「拡張」するのがメインであり、決して楽をするためではない(むしろ逆で、ひどく苦労させられる)。もちろん、世の中の人たちの多くは、もっと違った利用目的をもっているとは思うが。

Bandcampの「人間宣言」は、音楽を愛する者への誠実なメッセージだ。しかし、その「人間らしさ」の定義の中に、我々のような「デジタル・シニア」とAIとの試行錯誤も、含まれていると信じている。