転ばぬ先の杖?

 顔面が、痛い。目が、開かない。朝の散歩から帰り鏡を見れば、そこに映っているのは私ではなく、力石徹にボコボコにされた矢吹丈その人である。

 転んだのだ。しかも2度目だ。何でもないいつもの散歩道で、何でもない朝のひとときに。盛大に。

 転んだあとしばらく立ち上がれなかった。何が起こったのか自分でもわからない。そばでは妻が言う。「立つんだ、ジョー!」丹下段平よろしく、そこに愛はあれど容赦はない。おかげで這いつくばったまま笑ってしまい、すでに腫れあがった顔がさらに痛くなった。

 「明日のジョー」を読んだのは、もう遠い昔のことだ。貧しくとも野性的で、リングの上で燃え尽きることしか考えていない若者に、かつての自分を重ねた読者も多かったのではないか。真っ白な灰になるまで闘い続けるその姿は、青春のシンボルそのものだった。

 しかし、である。なんでもない田舎道の上で大の字になって空を見上げながら、私はしみじみ思った。ジョーは若かった。私はそうではない。

 「転ばぬ先の杖」という言葉がある。だが今の私に必要なのは、転ばぬための杖ではなく、転んじゃった後の反省としての杖だ。なぜ転んだか。足元を見ていたか。段差に気づいていたか。慢心はなかったか。

 加齢とはリングが変わることだと、腫れた目で思う。若い頃のリングでは、全力で燃え尽きることが美学だった。だが今のリングでは、転ばずに立ち続けることが、それ自体ひとつの闘いなのかもしれない。

 段平よ、ありがとう。妻よ、ありがとう。

 明日こそ、ちゃんと立って歩いてみせる。まだ、燃え尽きてはいないから。

尾藤イサオ「あしたのジョー」『あしたのジョー』オープニングテーマ 1970年(昭和45年)発売 作詞:寺山修司 作曲:八木正生

寺山修司が作詞とは知らなかった。