ようつべ

真夜中の静けさに耳を傾けながら、文字通り「腰」を据えてディスプレイに向き合う。

……と言いたいところだが、今朝は事情が違う。

キーボードに「YouTube」と打ち込もうとして、日本語入力のままだった。「ようつべ」ならぬ、ブラウザの検索窓には「腰痛べえ」とある。

この、どこか江戸時代の隠居の嘆きのような誤変換を前に、私は思わず笑ってしまった。AIがLLMを駆使して文脈を読み解く時代に、私のキーボードはご主人様の腰の不具合を正確に予言してみせたわけだ。

かつて、マイルス・デイヴィスがその晩年、身体の痛みを抱えながらもトランペットを離さなかったように、私もまた、この疼く腰を抱えながらマウスを動かしている。マイルスと違うのは、私の痛みが芸術的苦悩からではなく、単なる加齢による「経年劣化」に起因している点だが。

腰痛の起源を辿れば、自宅スタジオに詰め込んでいた20年分のデータに行き当たる。 かつては、来る日も来る日も友人の弾くギターの音を聴き、ドラムのリズムパターンを考えながら時にはベースの弦を弾いてきた。その結果、手元に残ったのは膨大な量のアウトテイクデータと、着実に蓄積された腰椎への負荷だった。

当時は「これらが日の目を見ることはないだろう」と諦めていた反面、大切にHDに保管していた。そして時代は大きく変わりテクノロジーは私に第二の人生(大袈裟)、正確にはデータの再起動を許可してくれた。

かつて必死で録り溜めた「熱い?」演奏の断片が、最新の生成AIの手によって、完璧なグルーヴへと再構築されていく。それはまるで、長年連れ添った馴染みのミュージシャンが、デジタルという義体を得て蘇ったような感覚だ。

このプロセスにおいて、もはや部屋を唸らせるような爆音を必要としない。必要なのは、良質なプロンプトと、少しの忍耐、そして……座り心地の良い椅子だけである。

今朝はキーボードを打ちながら、そして頭を抱えながら歌詞を作ったり、AIに打ち込むプロンプトを考えたりするのはやめておこう。 代わりに、1980年代の円熟したキース・ジャレットのソロ・ピアノでも聴きながら、クッションの感触に身を委ねることにする。彼の唸り声さえも、今の私の腰にはやさしく聴こえる。それにしても、即興を織り込みながらこんな流れるようにピアノを弾けるなんてすごい!と今更ながら思う。