Notes

THE BEIJING TAPES 2008-2013

COMPLETE RECORDING IN BEIJING YEARS

北京赴任と、砂漠のような渇きの中で出会ったロックの初期衝動

2008年3月3日。南国の島国から北京へと降り立った私を待っていたのは、想像を絶する寒さと乾燥だった。寝ている間に全身がミイラ化し、口の中がサハラ砂漠になるほどの異常な乾燥。この過酷な気候が、後の私の音楽ライフに(楽器のコンディション管理という意味で)多大な影響を与えることになるとは、当時の私はまだ知る由もない。

当初の音楽環境は極めてミニマルだった。頼れるのは120GBのiPodに詰め込んだ6,000曲と、Sonyのモニターヘッドフォン MDR-CD900STのみ。後にBOSEのCompanion5を導入し、ようやくヘッドフォンから解放されることになるが、街にはHMVもタワーレコードもなく、あるのは海賊版らしきCDばかり。「レコード屋がない世界」という、ある種の未来の荒廃を見たような気がした。

ライブハウス事情も寂しいもので、后海のバーやホテルのジャズバンド、あるいは学生向けのヘビメタバンドが点在する程度。私の心を満たす「音」は、街中には転がっていなかった。

そんな私の渇きを癒やしたのは、后海の西、「新街口南大街」という楽器街の発見だった。そこは、ギブソンやフェンダーといった名器の(コピー商品が堂々と並ぶ)不思議な楽園。500元から1500元程度で手に入るそれらの楽器は、私のような人間に「また弾き始めようか」と思わせるには十分な魅力を放っていた。実際、私もここで5本ほどのギターやベースを手に入れることになる。

そして、運命の歯車が回りだしたのは、同僚、通称 “Blues Lee” をこの楽器街へ誘った時だ。彼は私より10歳も若かったが、試奏で彼が爪弾いたのは、ジミ・ヘンドリックス、クラプトン、クリーム、そしてビートルズのリフだった。その指先から溢れ出るフレーズは、明らかに私と同じ時代の空気を吸ってきた人間のそれだった。楽しそうにギターを爪弾く彼に、私は思わずこう言った。「今度、家でやってみようか」

この一言こそが、北京での長い長いセッションの日々、”Our music life in Beijing” の号砲だったのだ。このボックスセットに収められた25曲は、あの乾燥した北京の風と、楽器街の雑踏、そして世代を超えたロックへの共鳴から生まれた記録である。

© 2008-2013 7080 RECORDS ARCHIVES. RECORDED AT KERRY CENTER AND MARRIOTT IN BEIJING

The Beijing Tapes 2008-2013

Studio 6070 Covers 6070s Rock Classics

Studio6070の北京での音源記録の第一弾ボックスセットが完成した。全25曲、北京の自宅でのレコーディングの様子をライナーノートにしてみた。

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60や70歳になっても音楽やっているだろうか?そんな疑問から50代当時の制作現場をStudio 6070と名乗っていた。とりあえずは当時の日記から歴史を紐解いてみよう。

2008年3月

北京に赴任。台湾からの異動だったので、この寒さと乾燥した気候に不安になる。特に、この乾燥は異常だ。寝ている とあっという間にミイラ状態になり口の中はサハラ砂漠となる。その時は、後々の音楽ライフにも大きく影響することになるとは夢にも思 わなかったが。暫くは仕事仕事の毎日。それでも、北京なる都市で音 楽三昧ができるのか調査を開始。頼りはネットだけ。その時の音楽環境は、120Gのipodに詰め込んだ6000曲とヘッドフォーン(Sony MDR-CD900ST)のみ。とてもシンプルなスタートだった。その後、 BOSEのCompanion5という小型スピーカーシステムを購入、ヘッドフォーンライフから解放された。

 

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2008年5月

レコード屋がない。これが地球上の未来の姿だと感じた。HMVもタワーレコードもない。あるのは、ちょっとしたDVD屋に置かれている如何にもといった感じのCDのみ。新作はnet頼り。ともかくitune store に接続(よかった繫がった)。ライブハウスは、飲み屋というかバー (后海周辺に多い)とホテルのJAZZバンド、いくつかの学生向けライブハウスが点在しているだけ(意外とヘビメタが多い)、ほとんど見て回ったが、足繁く通うほどのものはない。楽器はといえば、后海の西にある新街口南大街という通りにある楽器街を発見したときは、さ すがに嬉しかった。この通りでは、ギブソンからフェンダーなど有名ギターのほとんどが違法コピーとして存在する。しかも500元から1500元 程度で買える。ちなみに小生もここで買ったベースやギター5本ほど 所有している。同僚をこの 楽器街視察に誘った。彼が試奏中に弾くジミヘン、クラプトン、クリ ーム、ビートルズのリフの数々。この男、小生より10歳は若いという のに、どうみても同世代という感じで次々に弾きこなす。聞いてみるとビートルズが神様だという。「今度家でやってみようか」この一言 がStudio6070の始まりであった。50も半ばにさし掛かり、 60や70になっても音楽を聴いたり演奏したりしているだろうか?という疑問がはじまりだ。(同じように、70になった今、7080Recordsを立ち上げたきっかけとなっている)とにかく毎週末に集まりコピーすることから始めたら結構なテイクが溜まってきた。

そしてこんな記録も残っている。これも当時の日記ブログから。

“Isla Bonita” 2010年2月6日の録音記録

010年の音だし音入れで書いた通り、2月6日に、ご存じマドンナの有名曲をLogicを覚えたての小生がエンジニアを担当して本格ボーカル録音?を行う。当日録音に参加したボーカリストは二人。SunさんとSongさん。オケは、2009年年末に行った忘年会ライブ用にLee君と既に制作(アコースティックギターはなかなかよい)したものを使用して、リードボーカル録りから開始。Sunさんのリハでスタートしたが、そこでずっこけた。多分、カラオケを歌ったことは100万回あるだろうが、なんの映像もキューだしもない録音に、歌う入り口が分からない歌姫は、延々とリハを繰り返す。業を煮やしたLee君がギターを肩に掛けながら、手振りでキューを出すこと数百回?ようやく、スタートするも、間奏後の出だしにまたも四苦八苦。一方、この日からコンデンサーマイクの導入を図った我がスタジオでは、録音するたびに外の車のクラクション、たばこに火をつける音、座り直す椅子の音、換気扇の音、冷蔵庫を開ける音、あらゆる音を拾う。それでも、リードボーカル録りを終え、プレーバック。みんなの合意を得て、OKテイクをとりあえず保存。そのとき、みんな気づいていなかっただろうが、ヘッドフォーンをしていた小生には、その後にやってくる恐ろしい事態がだいたい読めていた。その後、Songさんのバックボーカル取り。ここでも、アレンジャーLee君が大活躍。やはり、出だし、ハーモニーの付け方、引っ張り方、強弱は録音の経験がなければ、無理であるところをLee君が、側につき指導を繰り返す。Songさんの旦那さんも横で見ながら、きっとハラハラどきどきしていたことだろう。ということで、なんとかバックボーカルが、レベルが弱いけど、なんとかなるだろう!ってな感じで終了。(あらゆる音、Lee君の声まで拾っていることは言うまでもない)この時点で2時から始まった録音は夜7時を過ぎていた。朝から何も食べていない小生は、ここで録音をとりあえず終えることをお願いし、食事に!Lee君は、すぐにでもアコースティックギターのオーバーダングを演りたかった感じであったが、空腹には勝てない、ので必死に食事のお願いをする。食事後、Lee君と部屋に戻り、アコースティックギターのオブリガードとリードを録音。このあたりは、手慣れたもんで、数テイクで完了。酒も相当入っているので、お開きにする。部屋に残った小生は、念のためこれまでの録音をプレーバック。ボーカルがやや遅れ気味なのと、ごちゃごちゃとノイズが入っている。その処理をしていると、きっと寝れなくなると思い、保存してシャットダウン。一気にベッドへ。爆睡。翌日は日曜日で、マッサージや本を読んだり夕刻までノンビリ過ごしたが、どうもla isla bonitaが気になる。夕食後、Macに灯を入れたのがいけなかった。深夜まで、録音のお化粧直しとリミックス作業。Logicの教則本を引っ張り出しての試行錯誤。

(1)まずは、ノイズ消し。波形部分にあるノイズを消去。EQやリバーブ、コンプリミッターを駆使してとりあえずファウンデーション完了。波形自体の化粧のしすぎはよくない、ということで、じゃ何か重ねればいいじゃん!ということで、ラップを入れることに。この手のネタは、さすがアップル。豊富にある。NYの地下鉄あたりにいる兄ちゃんのラップを入れてみる。おお!すげー。完全に曲調が変わった。ノイズも気にならない。

(2)ラップが入ったものの、ボーカルの声にいまいち元気がないので(そりゃそうだよね、始めてだもん)、思い切って若返ってもらうことに。ようは、スピードを変えず、声のピッチを上げる。おお、すげえ。Sunさんが20歳?若返ってしまった。ラップとの掛け合いも素晴らしい。

(3)さて、最後のお化粧は、バックボーカル。もともと控えめな声の出し方だったので、口紅を塗るように、ボーカル部分の波形を強調する。さらに、ディレイをほんの少しかけて奥行きをつくる。アイシャドウだね。このボーカルは極力素材を生かすことを心がけたが、時々ピッチが不安定なので、ピッチ補正。これがすごく難しくて、効いているのか効いていないのか、未だに分からない。ということで、なんちゃってla isla bonitaの仮リミックスバージョンが完成。終わってみると、時計は1時を過ぎていた。次の週から、東京出張が入り、以来このバージョンをまだ完成させていないが、世の中には出回っているらしい。アニメ声が素敵との評判もある。いずれちゃんとしたバージョンを完成したいとは思っている。この前のNashvilleでのSunさんのライブバージョンもあるので、また紹介したい。

今ふたたびハードディスクを探し第一弾をリマスターしてみた。しょぼかった音が生き返ったのには正直驚いた。

THE BEIJING TAPES 2008-2013

COMPLETE RECORDING IN BEIJING YEARS

北京赴任と、砂漠のような渇きの中で出会ったロックの初期衝動

2008年3月3日。南国の島国から北京へと降り立った私を待っていたのは、想像を絶する寒さと乾燥だった。寝ている間に全身がミイラ化し、口の中がサハラ砂漠になるほどの異常な乾燥。この過酷な気候が、後の私の音楽ライフに(楽器のコンディション管理という意味で)多大な影響を与えることになるとは、当時の私はまだ知る由もない。

当初の音楽環境は極めてミニマルだった。頼れるのは120GBのiPodに詰め込んだ6,000曲と、Sonyのモニターヘッドフォン MDR-CD900STのみ。後にBOSEのCompanion5を導入し、ようやくヘッドフォンから解放されることになるが、街にはHMVもタワーレコードもなく、あるのは海賊版らしきCDばかり。「レコード屋がない世界」という、ある種の未来の荒廃を見たような気がした。

ライブハウス事情も寂しいもので、后海のバーやホテルのジャズバンド、あるいは学生向けのヘビメタバンドが点在する程度。私の心を満たす「音」は、街中には転がっていなかった。

そんな私の渇きを癒やしたのは、后海の西、「新街口南大街」という楽器街の発見だった。そこは、ギブソンやフェンダーといった名器の(コピー商品が堂々と並ぶ)不思議な楽園。500元から1500元程度で手に入るそれらの楽器は、私のような人間に「また弾き始めようか」と思わせるには十分な魅力を放っていた。実際、私もここで5本ほどのギターやベースを手に入れることになる。

そして、運命の歯車が回りだしたのは、同僚、通称 "Blues Lee" をこの楽器街へ誘った時だ。彼は私より10歳も若かったが、試奏で彼が爪弾いたのは、ジミ・ヘンドリックス、クラプトン、クリーム、そしてビートルズのリフだった。その指先から溢れ出るフレーズは、明らかに私と同じ時代の空気を吸ってきた人間のそれだった。楽しそうにギターを爪弾く彼に、私は思わずこう言った。「今度、家でやってみようか」

この一言こそが、北京での長い長いセッションの日々、"Our music life in Beijing" の号砲だったのだ。このボックスセットに収められた25曲は、あの乾燥した北京の風と、楽器街の雑踏、そして世代を超えたロックへの共鳴から生まれた記録である。